意志の弱い紙切れ

日本国内では、ジェームズ・ベックマンの著書「幼児教育の経済学」がベストセラーとなった。(中略)ベックマンは、研究により子ども時代に虐待を受けたり十分なケアを受けられなかった(逆境的小児体験 ACE)の場合、「成人してからの病気や医療費の多さ、うつ病や自殺の増加、アルコールや麻薬の乱用、労働能力や社会機能の貧しさ、能力的な障がい、次世代の能力的結果等と相関的関係」があることを示した。

と、教科書に書いてあった。
そう言えば最近、教科書が正解とは限らないということを教育の歴史や法律を学ぶ中で、理解した。戦前〜戦時中にかけては愛国心の大切さが説かれていたし、現在は「過去の過ちを繰り返さない為に私たちに出来ることを考えましょう」と、平和の尊さが語られる。教育、教科書、それを伝える教師は、一概に言い切れないが、その時の国際状況の影響を多かれ少なかれ受けているんだな。当たり前のことだけど、改めて文字にしてみると、そんなもんなんだよな。とも思う。教育は、時代の流れと共に変化し続ける。

少し前に教育勅語を園児に暗唱させていた幼稚園が話題になった。そのことに関してある先生は、今の日本は戦前と同じことをしている。このままでは戦争に…と講義で話しており、その考えに染まっていたのだが、一歩下がって見つめてみると「それは、日本国憲法教育基本法の視点からの見解でしょ」と思う自分がいた。

学べば学ぶほど視野が狭くなる。気がつけた私は「一歩下がる」を手に入れたから、きっと少し前の自分よりは強くなれたはず。

冒頭に戻る。じゃあさ、不利な状況で育った人が大人になっても不利なんだとか、そんなのこの目で見て、聞いて、探してみないとわからない。教科書は、世界や国内の影響を大きく受けた意志の弱い紙切れなんだから(作った人に怒られそう。作った人の意志が強かったとしても教科書になった瞬間にその意志は私のような捻くれ者に疑わしい目で見つめられる文字となる)

真実や正しさはいらない。現実をこの手で掴み、見つめ、最も効率的な解決策を編み出す為に今の私ができることを考えてみることにする。